2011.07.12 Tuesday
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スタッフのつぶやき |
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決勝進出を賭けたアメリカ戦。そして銅メダルを賭けたドイツ戦。最後の2試合に勝てなかったことが、ちょっぴり残念でした。ただ、私の「残念」は「何かの間違いでいいからメダルを持ち帰らせてあげたかった」というレベルであり、いっぽうで充足感もあります。言わば、腹八分目の北京五輪。
でも、実際、ピッチでゲームをやっていた選手たちは、メダルを現実の目標として捉え、それを達成できなかった悔しさもあるようです。アルビレックス新潟レディース戦終了後、福元美穂選手とともに、岡山湯郷Belleのファンへ挨拶を行った宮間あや選手は、真っ先にこう言いました。
「北京五輪で優勝するために頑張ってきたんですけれども、その夢を叶えることはできませんでした」
日頃から「どんなに大きなトーナメントであっても優勝を目指し、どんな強敵との試合であっても勝利を目指す」と広言して憚りません。それが大言壮語やリップサービスに聞こえない。目標達成のため、持てる力の全てを出し尽くしているからです。夢破れた時にも「仕方ないよ。あそこまでやったんだから」と周囲が納得できるのです。
さて、そんな宮間選手にも五輪のエピソードをいくつか披露してもらいました。
ニュージーランド戦でPKを決めた時も、ノルウェー戦で先制点を奪われた時も、すぐにセンターサークルへボールを戻そうとした宮間選手。ニュージーランド戦で澤選手のゴールをアシストした時に抱き合って喜んでいたのは、もう一度チームの士気を高めるためだったようです。
だから「喜んでいる時に誰もボールを取りに行かなかったのはどうなんですか?」と尋ねると「うーん……。まあ、そうかもしれませんけれどね」。そうは言いながらも、納得がいかない顔つき。もちろん、あの部分を切り取って「喜んでいたのは『引き分けでもよし』と思っていた証拠」と捉えられるのは心外なようです。
「最後までゴールを狙って攻めていたところを見てもらえば、『引き分けでよし』と考えている選手なんて、ひとりもいなかったことは、わかってもらえると思います」
実際、最後の決定機は、阪口夢穂選手のヘディングシュート。アーリークロスをゴール前で合わせるところまで、ボランチが上がってきていたわけですからね。
アメリカ戦以後、巻かなくなった足の包帯については「包帯をするのも嫌だったし、それを相手に見られるのも嫌だった。だからドクターに頼んで取ってもらいました」。
もうひとつ、3位決定戦後の「アメリカやドイツはチームがひとつになっていた」というコメントについて。その真意は「『日本がバラバラだった』ということではなく、『アメリカやドイツのひとつと日本のひとつではレベルが違った』ということ。日本チームはその段階でできることを全員がやっていたと思いますけれども、メダルをとるためには、もう一段上のひとつになる必要があった。それがわかったということです」。
「サッカーは止める、蹴るだけじゃない。チームがひとつになることが大切」と再確認し、これを湯郷Belleのチームメートに還元しようと努める宮間選手。2年ぶりのAクラスへ向けて全力を尽くします。
もっとも、本人は本気で優勝を狙っていると思いますが……。
西森彰